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知らなかった!?「ひな祭りの由来」や「雛人形を飾る意味」は深かった!

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私も子供のころに、おうちにおひなさまを飾って、

ひな祭りパーテーィーをしてもらった記憶があります。

 

子供のころは、「おいしい料理やケーキが食べられてうれしいな」

くらいにしか思っていませんでしたし、

「なんとなく女の子のお祝いなんだな」という認識で、

深く考えたこともありませんでした。

 

大人になって、こういう行事ごとを大切にしたいという気持ちがわいてくると同時に、

由来についても「どうしてこういうことをするのか」

を子供に伝えてあげたいなぁと思うようになりました。

 

その由来にある深い意味を、これからお話していきますね。

 

ひな祭りはじまりは、「上巳」という「五節句」のうちのひとつ

 

現代では、ひな祭り、イコール桃の節句と考えられていますが、

もともとの名前は「上巳」です。

 

昔、日本では平安時代を起源とする、「五節句」というものがあり、

一月七日が「人日(じんじつ)」「七草がゆ」、

三月三日が「上巳(じょうし)」「桃の節句」、

五月五日が「端午」「端午の節句」、

七月七日が「七夕」「七夕祭り」、

九月九日が「重陽」「菊の節句」とされています。

 

この「五節句」は、季節ごとの節目に、身の穢れの禊をして、

健康や厄除けを願うという大切な風習でした。

 

この禊をする宮中行事のなかで、草や藁でできた「人形(ひとがた)」を

河川や海に流していたそうです。

 

これには、「人形」に身の穢れを移して、水に流すという意味合いがありました。

「流し雛」というものの起源がこれにあたるんですね。

 

「人形(ひとがた)」と「ひいな遊び」が合わさって「雛人形」に

 

「人形(ひとがた)」は、人々の身代わりとしての意味があり、

例えば、出産時に枕元に置き、当時は命を落とすことも多かったので

身代わりを引き受けてくれると考える風習もありました。

 

災いを引き受けてくれるとされた「人形(ひとがた)」と、

宮中で着せ替え人形のおままごとあそびであった、「ひいな遊び」があわさって、

雛人形」になったとされています。

 

「ひいな」とは、「ひな」の語源で、小さいかわいいものという意味があり、

「人形(ひとがた)」も人を小さくしたものとされていたので、

「人形(ひとがた)」を「流し雛」と呼ぶようになっていきました。

 

その後、江戸時代ごろには、この「流し雛」を作る技術が発展して、

豪華なものになったので、水に流さず、家に飾るようになりました。

これが、現代でも続く「雛人形」を飾る習慣につながっています。

雛人形を飾る意味」はたくさんある

 

江戸時代には、「上巳の節句」を女の子のための日、

端午の節句」を男の子のための日と、幕府によって制定されました。

 

それまで「雛人形」には災いの身代わりの役目があったことから、

女の子の健やかな成長を願う日とされるようになったんですね。

 

また、よき伴侶に出会うよう、女の子の幸せな結婚を願うようにもなり、

天皇・皇后をイメージした、男女が対になった「雛人形」が

作られるようになっていったというわけです。

 

そんなことから、ひな祭りがすんだら早めにしまわないと、

「お嫁に行くのが遅れる」なんて言われるように、

その意味合いも広がってきたんでしょうね。

 

意外だった!雛人形の解釈

 

「お内裏様とお雛様、ふたりならんですまし顔~♪」の

歌によって間違えてしまいやすいのですが、

実は、「内裏雛」とは、「男雛・女雛の対」のことを意味します。

 

内裏雛」の他にも、「三人官女」、「五人囃子」、右大臣と左大臣の「随人」、

三人上戸の「仕丁」、これらも「雛人形」の種類になります。

 

 

まとめ

 

①「五節句」のうちの「上巳」が桃の節句の始まり。

②人々の身代わりとされていた「人形(ひとがた)」を、

「ひいな遊び」から転じて「雛人形」と呼ぶようになった。

③「雛人形」は、女の子の健やかな成長や、

幸せな結婚を祈るために飾られるように、意味が発展した。

④「雛人形」にはたくさん種類があって、

正しくは、「男雛・女雛の対」で「お内裏様」と呼ぶ。

 

歴史や由来を知ることで、より一層気持ちのこもった、

素敵な「ひな祭り」になると思います。

 

女の子には、小さいときから、ぜひこのような「願いの気持ち」を

伝えてあげてくださいね!